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『わたしのパスかる!』髙階理事長の自叙伝(連載第24回)

ジェックスの設立者で理事長の髙階經和先生が、お生まれになった1929年から現在進行中の研究成果まで、90年を超える人生と研究をみずからまとめておられます。

内容はもちろん、読み物としても大変興味深い「自叙伝」となっています。ぜひお楽しみください!

(連載内容の目次はこちら)

髙階先生の経歴はこちら

前回分はこちらから                        

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    『わたしのパスかる!(連載第24回)

ーわたしの歩いてきた道ー

ジェックス理事長 髙階 經和

  

第4章:-1995年~2022年-

18.アリゾナ大学で2回目の講演

 2008年11月3日、晴れ。(午前6時に起床した。時差ボケは完全に取れた。午前6時35分 にレストランで軽い朝食を取った後、午前8時25分にホテルの前にクリントン氏がわたしを迎えに来てくれた。ゴルフカート、新しく出来た「小児がんセンター」を通り、アリゾナ大学の全てのキャンパスの道を通り、あらゆる部門を見学することが出来た。彼とヘルス・サイエンス・センターに向ったが、どんな場合でも、彼はわたしを 「ドクター・タカシナ、お先にどうぞ」と丁寧な案内をしてくれた。そこでは、キャシー という所長のドクターがわたしを案内してくれた。全ての疾患に関する基礎的研究が行われているのを見るのは、実に素晴らしい。そして最後にアリゾナ大学の金色に輝くエンブレムを手に入れることができた。

 「わたしは2日前にトゥーソンに着きましたが、空港からタクシーで『アリゾナ・イン』へ向かう途中、信号で車が止まった時、右の歩道の上に痩せた鶏の様な鳥が止まっていました。と、次の瞬間、その鳥は車の前を横切って車道をすごい速さで走りさり、アットいう間に消えてしまいました。驚いてわたしは運転手に訊ねました。『あの鳥はなんという種類の鳥なんだ?』『貴方は今までに見たことがないんですか?彼女は”ロードランナー”(road runner)ですよ』 ところが次の信号で車が止まった時、歩道の上を中年の非常に太った小父さんが、ユックリ・ユックリと走っているのが目に入りました。殆ど歩いているのと変わりません。そこで運転手に『あの男の人は、ジョギングをしているのかい、それとも歩いているのかい?』と訊ねたところ、運転手曰く『やー、あの人は、別の”ロードランナー”なんだよ。』」

と言ったところ、学生たちは一斉に大声を上げて笑い出した。このジョークは2ヶ月前から考えていたジョークである。これが大いに受けたので、すっかり気分も楽になった。そして、今日の講演の内容を次のスライドで示しながら、ドクター・エーヴィとわたしとは20年来の親友であり、彼の最近の「心臓脳蘇生術」 (Cardiocerebral resuscitation) が世界中で高い評価を受けていることを学生たちに話した。

 その後、約45分に亘って、『どう学習するか、どう学習しないのか?』という教訓的な講義を英語で行った。わたしの講演が終わるや、学生たちは一斉に立ち上がって拍手をしてくれた。その後、数名の学生たちから質問があったが、何れも非常に真面目な質問であり、心音の記憶法として、音楽のテンポに合わせて聞かせるのも良いという意見が出た。
 ドクター・エーヴィ も「それは良いアイディアだよ」とコメントをした。そして医学教育学の教授が、手を挙げ「今日の話はわたしも非常に参考になった。基本的なことを、もっと学生に教えるべきだと言うことを再認識しました。有難うございました」といって握手を求めてきた。心臓血管研究所所長のCathyも「素晴らしい講演でした。有難うございました。わたしは臨床医ではありませんが、如何に研究するか、あるいはしてはいけないかが、分かりました」と言ってくれた。わたしの講演のために準備をしてくれた 秘書のデビーに感謝したが、彼女は「またドクター・タカシナにお目に掛かれて良かったですわ。光栄です。またトゥーソンにいらしてください」と言った後、わたしの体を力一杯抱きしめて「さようなら、どうぞ良いご旅行を」と言って分かれた。

 彼女からはその後、E・メールで「先日のドクター・タカシナの講演会に出席した何人かの学生にコメントを聞きましたが、ドクター・タカシナは凄い知識があり感銘を受けていました。それに素早いウィットには感心しました」と書かれてあった。

 アリゾナ・インへ戻り、明日4時出発のため準備をしてから、わたしは少し眠った。午後5時に起きて、帰国準備をしているときにドクター・エーヴィから電話があったので、急いで洋服を着てロビーに行くと、UA基金の ジェームス・モア氏と クリントン、ドクター・エーヴィ の3人がわたしを待っていてくれた。夕食は終始和やかな雰囲気で終わり、わたしは彼らに別れを告げた後、部屋に戻った。

 

19.第41回日本医学教育学会で招待講演 

 2009年7月25日(土)。大阪国際交流センターで昨日から始まった第41回日本医学教育学会の2日目、午前10時19分から、わたしの教育講演『どう学習するか、どう学習しないか』という演題で講演を行なった。

 わたしは、はじめに紹介を頂いた司会の川田暁(かわだ・あきら)先生(近畿大学医学部皮膚科教授)に礼を述べ、続いて今回の大会長である塩崎均先生(近畿大学医学部長)、実行委員長の松田理(おさむ)先生(近畿大学医学部教育教育科教授)、会長である伴信太郎(ばん・のぶたろう)先生(名古屋大学医学部綜合診療科教授)をはじめ、準備をされた方々への謝意を表し、演題内容を紹介した。

(1)「わたしが辿った医師への道」(*前出)

  父が何時も生前口にしていた言葉を紹介した。
  『医師は人の尊敬を受ける人間にならなければならない』
  『癒しは人の為ならず、癒しは神の言葉なり』
  というものであった。それは今もわたしの心に生きている。

(2)「チュレーン大学への留学」(*前出)

(3)「臨床心臓病学へのアプローチ」
  わたしのクリニカル・フェローの仕事は七人の学生たちを病棟で指導し、黒人外来を受け持った他、研究室で心膜の研究を行なった。わたしが  
  受け持った学生たちに『七人の侍』のニックネームを付けたが、彼らも大いにそのニックネームが気に入っていたようだ。そして学生たちと一 
  緒に学んだ。当時のチュレーン大学の医学教育は「学生中心学習」或いは「小グループ学習」の原型となるべき教育が行なわれてきたことにな 
  る。

(4)「どう学生たちは学習するか」
  1962年に帰国し、淀川キリスト教病院で、午前7時から始まる
  回診や、早朝回診は全て英語で行われた。わたしたちの積極的な指導によって若い医師たちは全て、ECFMGの試験に合格し、アメリカに留 
  学することができた。 現在もわたしは朝7時から仕事を続けているがその姿勢は変わっていない。

(5)「学習環境を改善する」
  1976年にマートンとサルジオ(Marton & Saljio)という二人の教育学者が、新しい教育法を提唱するようになるまで、世界の大学教育は 
  旧来のままであった。彼らが分類した学習法は①表層学習、②深層学習、そして③認知学習であった。彼らが世界の教育方法に新風を巻き起こ 
  したのである。しかし、医学部だけがこの教育法をすぐに取り入れようとはしなかった。それは医学の特殊性によるものだろう。そのため医学
  教育の革新が遅れた。

(6)「教育アプローチを改善する」
  新しい教育方法を取り入れることで、小グループ教育の実践が如何に大切かを強調した。ここでわたしは1980年にサンフランシスコで開催 
  されたアメリカ心臓病学会のフェローの授与式出、記念講演を行なった往年の喜劇俳優「ダニー・ケイ」の話を披露した。この話は多くの参加
  者に感銘を与えた。(*前出)

(7)「自ら学習方策を開発する」
  学習には自ら革新的な学習方法を取り入れる必要はあり、わたしは医療面接が臨床医学の基礎であり、また臨床手技の修得にはシミュレータ教 
  育が重要であることを述べ、心臓病患者シミュレータ「イチロー君」の開発や、その臨床教育への役割についてのべ、指導医が更に自己研鑽に
  励む必要があると述べた。

(8)「臨床には3つの言語がある」
  わたしが1972年に提唱した「臨床の3つの言語」として「日常語」「身体語」「臓器語」を理解することが大切だが、今の若い臨床医には 
  十分に理解していない人が多いことが残念であると評した。

(9)「日常診療で注意すべきこと」
  最後に日常診療で失敗は許されないことであり、患者の信用を失わないように努力しなければならないことを指摘した。そして自分はもう年齢
  だから新しいことにチャレンジすることをためらう人がいるが「 老犬に新しい芸を教えられないと言ったのは誰だ。しかし、あなたは決して
  年をとりすぎたから、学習することが出来ないことはない」というイギリスの諺を紹介した。

 最後にスライドで「既に完成された教育法はない。どうか参加された皆様方もどう学習するか、どう学習しないかという問題について一緒に考えてみようではありませんか」という言葉でわたしの講演を終わった。
   司会者の川田教授が「日本でどうして最近はアメリカに留学しようという若い人が減っているのか?」という質問があり、わたしは「今はハングリー精神を持って自分で学習しようとする人が少ない。わざわざアメリカに行かなくても、日本だけで十分勉強が出来ると考えているからではないかと思う」と答えた。

 そして台湾のドクターが英語で「What do you think which one is more important, how to learn or how not to learn? Are they in equal level or
not?」(貴方は「どう学習するか、どう学習しないか」のどちらがより重要だと思われますか?)という質問があったので「There are so many information available, however, you have to choose which one is important to you. You may discard many information, which is not necessary to you. I believe how to learn and how not to learn are both on equal level.」(毎日溢れるような情報がありますが、それは自分自身で選ばなければなりません。自分で不必要だと思った情報は捨てる事です。わたしは「どう学習するか、とどう学習しないか」は同じレベルのものだと思います) と答えた。最後に、司会の川田教授から感謝状と記念品を受け取りわたしの医学教育学会における記念すべき講演が終わった。

 

20.公益社団法人設立25周年の記念講演

 2010年11月7日(日)快晴。本社団法人は1985年以来、医師や医療関係者に対する研修のみならず、一般の方々に対する啓発活動を行ってきたが、その社会的活動に対して、2010年3月、大阪府より「公益社団法人」として認められた。本法人は設立されて25年が経過したので、それを記念する式典を行おうと準備をしてきた。

 千里ライフサイエンスセンターにおいて、午後1時30分より当公益社団法人臨床心臓病学教育研究会の創立25周年記念式典および講演会が開催された。木野昌也先生が開会の挨拶を行った後、ジェックスの歩みを振り返る動画によるプレゼンが行われた。

 まず当公益社団法人の最高顧問であり、聖路加国際病院理事長である日野原重明先生が記念講演を行われ、99歳の年齢とは思えぬエネルギッシュな講演内容に参加者は大きな感銘を受けた。(日野原重明先生は105歳で故人となられた)

 

 

 ・・・次回に続く

※「わたしのパスかる」へのご感想をぜひお寄せください。 office@jeccs.org

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