1971年、アメリカ心臓病学会主催の「ベッドサイドにおける心臓病患者の診かたセミナー」で颯爽と登場した「ハーヴェイ君」。髙階經和理事長との出会いが「イチロー」誕生の大きな契機となりました。「ハーヴェイ君」とは、人体と等身大のシリコンゴムの表皮でできたマネキンであり、全身の動脈派や心尖拍動を触れることができ腹式呼吸もする精巧なものです。さらに聴診もシミュレータに具備した聴診器を使って聞くことができました。これこそ、理事長がずっと頭に描いていたベッドサイド診断を教えることが出来る心臓病患者シミュレータでした。 ここから、「イチロ一」誕生までの決して平坦ではない道のりが始まります。
1984年4月、マイアミ大学から「ハーヴェイ君」を導入し、定期的に研修が行われるようになったものの、移動における運搬費用が莫大であること、さらに「ハーヴェイ君」の心音、心雑音が人工的に作り出された音であったため、特殊な聴診器を使わなければ聴診ができないなど、予期せぬ事態に直面しました。そこで、今までの技術を総動員して「ハーヴェイ君」を凌駕する心臓病患者シミュレータ開発の一歩が踏み出されました。まず、毎回の診察で、医学的に興味のある心音、心雑音を持つケ一スを脈波記録装置を使って次々に記録していきました。
マネキン本体の制作においては、人間の皮膚の感触に近づけるため、塩化ビ二ールの配合の調整を何度も積み重ねました。また、全身の動脈派や心尖拍動を作り出す電空装置においても独自に心音の過剰音(余分なノイズ)を取り除くソフトを開発するに至りました。こうして、いくつものハードルを越え、1993年秋に「ハーヴェイ君」を凌ぐシミュレータが誕生したのです。
「このシミュレータに何と名前を付けましょうか」「日本で初めてできたシミュレータだから、『イチロ一』とでもしましょうか」画して、臨床医学教育の現場に「イチロ一」が華々しくデピューしたのです。その翌年にプロ野球界の天才的プレイヤーの鈴木一郎が「ICHIRO」という名前でデピュ一を果たすとは夢にも思っていなかったことは言うまでもありません。今や、日本に限らず、若い医師たちの聴診技術が低下していることが指摘されています。この現象は医学教育でハイテク技術に頼りすぎた診断方法を教育した結果、若い医師たちが医学教育の中で、本来、身に付けるべき診断手技を軽視している傾向があるためだと考えられています。「イチロー」がそれらの問題を払しょくし、ひいては、21世紀の国際医療に貢献し、人々の健康維持のために活動を展開することを願ってやみません。
イチローは使いやすさにこだわって設計されており、簡単に使うことができます。モデルのバージョンアップや機能の改善を行い、よりユーザーフレンドリーなシミュレータへと進化しました。 ソフト面においても、シンプルな構成で直感的に操作でき、難しい設定や準備に時間を要しません。
イチローは、新旧合わせて数百台が国内・海外の医科系大学や医療機関などで臨床医学教育のために活躍しています。
心音聴診の学習において様々な心疾患に関連する心音を聴取できる上、呼吸音を組み合わせることにより、実臨床で遭遇する症例により近い環境での学習が可能です。 文字・静止画・動画・音など多彩な出力で、学習者の理解力向上に多面的な効果を発揮しています。