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『わたしのパスかる!』髙階理事長の自叙伝(連載第23回)

ジェックスの設立者で理事長の髙階經和先生が、お生まれになった1929年から現在進行中の研究成果まで、90年を超える人生と研究をみずからまとめておられます。

内容はもちろん、読み物としても大変興味深い「自叙伝」となっています。ぜひお楽しみください!

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    『わたしのパスかる!(連載第23回)

ーわたしの歩いてきた道ー

ジェックス理事長 髙階 經和

  

第4章:-1995年~2022年-

 

16.スペインで「イチロー君」と再会

 2006年10月7日(土)。わたしがプロジェクト・リーダーとして研究開発した心臓病患者シミュレータ「イチロー君」(英文名:Simulator”K”)は、1997年にアナハイムで開催されたアメリカ心臓病学会においてデビューを果たし、同年8月、国際的循環器専門雑誌CARDIOLOGYに、その教育効果について発表されたことは既に述べたとおりである。

 以来、ベッドサイドにおける循環器疾患診断の医学生の臨床能力を客観的に評価する方法の一環として、2004年よりOSCE(Objectively Structured Clinical Test)が始められた。わが国の殆どの大学医学部や医科大学に導入されている。

 このシミュレータはすでに、アメリカではアリゾナ大学医学部や、テキサス州サン・アントニオ陸軍医学研究所を始め、台湾やイギリスなど海外にも進出を始めた。そして今年、スペインのバルセロナ大学医学部とマドリッド医科大学にも数台が導入されたのである。イギリスを始めとしてヨーロッパ各国の大学医学部や医科大学は、臨床研修を極めて重視している。その結果、本プロジェクトのリーダーであるわたしに「Simulator”K”を使って実際に臨床医学指導者への研修を行って欲しい」とマドリッド医科大学付属メナリニ医学教育研究所のドクター・ホルデイ・アバド・サラ(Dr. Jordi Abad Sala)から客員教授として招聘したいという依頼があった。それは7月のことである。漸くわたしと先方との日程調整もでき、2006年10月7日正午、スペインへの直行便がないためエール・フランスのパリ経由でバルセロナへ行くことになった。

 関西国際空港でのセキュリティ検査も終わり、エール・フランス251便は時間通りに出発し、11時間50分後に、パリのシャルル・ド・ゴール空港に到着した。広大な空港のコンコースを通ってトランクを引きずりながらゲートまで、歩いていった。そして約3時間後にパリを飛び発った。エール・フランス2348便の機窓を通して眼下に広がるパリの街の明かり、中でも優雅な曲線を描いてライトアップされたエッフェル塔の美しさに思わず見とれてしまった。飛行機は1時間20分後にバルセロナ国際空港に到着した。

 パリを発つ時にセキュリティ検査があったきり、バルセロナ空港では入国審査もない。そのまま、タクシーに乗って「セナトール・ホテル、ポール ハボール」と言ったが、「シー セニョール」で会話は終わり。タクシーの運転手は殆ど英語を話さない。「ホテルはここからどれ位か?」と聞いたが、答えは返ってこなかった。約15分後にホテルに到着。時間は既に午後11時を過ぎていた。ユーロで16ドル50セントだったが、空港のテロ対策費だとかで3ドル別に取られ、結局20ドルを払ったが、きっちり20ドルのレシート(スペイン語ではレシートのことを「チケット」と呼ぶ事を初めて知った)が、かえってきた。

 「グラシアス.ブエノス ノチェス セニョール」(有難う。お休みなさい・旦那さん)といった挨拶が、彼と話した二言目の会話だった。

 ホテル・セナトール・バルセロナは4つ星ホテルだけあって、受付の2人の男性もしっかりした英語で対応をしてくれた。 

 2006年10月8日(日)。スペインは店舗を始めあらゆるものが休みであった。午前中まだ時差の取れなかったわたしはベッドで休んでいたが、午後には体調も回復し、現地入りをしていた京都科学の遠藤陽子さんと、ホテルからタクシーで10分のところにあるガウディが1882年に作り始めた有名な「サグラダ・ファミリア」(Sagrada Familia)を訪れた。この礼拝堂は世界の建築物の中でも特に有名であることは、周知の通りであるが、1856年に初代の建築家ピリャールが建築に取り掛かった。そして1882年31歳のガウディがその後を継ぎ、43年間をこの建築のために取り組み、正面の部分を完成させた。ピリャールが建設を開始してから既に今年で150年が経つ。既にガウディは他界したが、その類稀な設計方法にはキリスト教とイスラム教の融合された独特のスタイルが、後の建築家に受け継がれ世界中の建築家がお互いに協力し、日本からは今井さん(早稲田大学)が参加した。壮大なスケールの礼拝堂は、正に想像を遥かに超え完成までに向こう100年はかかるとの話だった。   

 翌10月9日、バルセロナ大学医学部付属病院の「サン・パン病院」で正午から午後6時まで、研修講義を行う事になった。バルセロナの街の至る所でガウディの作品になる建物を見ることができる。この病院の正面玄関もがガウディの建築によるものだと聞く。殆どの建物が石と古い工法のレンガ作りであり、この病院の広大な敷地も中世の面影を残す立派な建物であった。二階にある研修室は約30人の人が入れる部屋で、そこに「イチロー君」が既に設置されていた。わたしにとって見ればはるばる日本からやってきて、久し振りに息子に会うような気分であった。「ブエナス・タルデス・イチロー君!」(やあ、こんにちは「イチロー君!」)

 研修参加者は指導医が中心であったが、約半数が女医や女子学生であり、日本やアメリカでも女性の医師が、約半数に達している現象がここでも起こっていた。現地の人の話では、1980年代から男子学生はIT関連の仕事に魅力を感じるようになったため、医学部への進学希望者が少なくなったと説明する人もいる。今回の「イチロー君」研修には、バルセロナの4つの病院からそれぞれ指導医たちが参加していた。中には心臓病専門医も参加した。

 最初にわたしは自己紹介を兼ね、スペイン語でまず挨拶をしたが、参加者の緊張を解すために英語でジョークを言った。その内容は「ある病院の小児科病棟のプレイルームで一人の男の子が、もう一人の男の子に『君は内科患者なの?それとも外科患者なの?』『そんな難しい言葉は分からないよ』『それは簡単だよ。病院に来る前に身体の調子が悪くっても、入院したら良くなるのが内科だよ。その反対に入院する前は元気でも、入院してから身体が悪くなるのが外科だよ』と言いました」と言った途端、参加者が笑い出し表情がにこやかな笑顔に変わった。

 わたしはパワーポイントを使いながら、「心臓病患者シミュレータによる臨床手技の教育効果」について、約150名の医師、医学生、看護師、外国人医師などを対象に、「イチロー君」(Simulator-K) 開発に至る研究開発の過程や、過去9年間に行ってきた研修効果について説明し、約1時間半の講義を行った。

 休憩を挟んで、午後6時まで正常の頚静脈波の診かたから始まり、全身の動脈拍動、特に頚動脈と橈骨動脈における脈波伝播速度の差を自分の頚動脈と橈骨動脈で体験させることが、医学生に対しては一番良い方法であることを話した。わたしがベッドサイドの診察法の仕方を披露した後、正常症例から始まり、各心疾患を参加者全員が診察をすることが出来るように時間を取って指導していった。わたしは今までにどれだけ「イチロー君」を使って研修を行ってきたか自分でも覚えていないが、今回のスペインでの研修には特別な気持ちで接した。スペインの若いドクター達は、日本の場合とは全く違った態度で、わたしの研修指導方法を学ぼうとしていたからである。

 彼らの目付きは真剣そのものであり、ドクターの一人は、わたしが説明した後で、肺動脈部位における2音の呼吸性分裂が、わたしの言うように吸気のみで分裂し、呼気で分裂がなくなるのではなく、僅かな2音分裂が呼吸とずれていることを指摘したからである。わたしは率直に彼らの指摘を認め、シミュレータの下部にある呼吸用空気圧のネジを調整する必要があることを伝えた。 

 様々な症例についてのわたしの臨床経験や、口真似による「心音擬音法」を紹介すると、一緒に仕事を手伝ってくれたイギリス人のアラン(Mr. Alan Morrissey:彼は1969年からスペインに住んでいる)が、「プロフェッサー・タカシナがおられたら『Simulator-K』は要りませんね。」と冗談を言ったので、参加者のドクター達も笑いながら頷いていた。

 こうして「イチロー君」に内蔵された殆どの症例を提示し、不整脈の際の心音を脈拍の変化や、異常呼吸音についても解説したが、一人の循環器専門医が「各疾患についても様々な違った心雑音をしめす症例があるので、それはこのシミュレータで再現することができるか?」と訊いた。わたしは「それは可能だが、現在の段階では、初心者のための教育機器として、あまり複雑な症例はインプットしていない」と答え、彼も「そうだろうね。教育には初めから複雑なケースを教えると反って分からなくなるからね」とわたしの説明に納得したようである。

 

17.マドリッドへの一日旅

 こうしてバルセロナでの研修講義が無事に終わった。そして我々は今回のスペインで 「医学教育シミュレータ株式会社」のスタッフと共に、午後9時の飛行機でマドリッドに飛んだ。1時間の飛行の後にマドリッドにつき、ホテルに入った。

 翌10月10日の午前中、時間が空いたので、プラド美術館にタクシーで行ってみたが、ピカソの『ゲルニカ』を見たいと思ったからである。しかし、残念ながら火曜日は休館日とのことであった。周りの店も殆どがまだ開店していない。プラド美術館のすぐ前にある地下鉄駅があり、その一角がブルーの覆いで囲まれている。イラク戦争に参加したスペインに対するテロの報復によって爆破され多くの犠牲者を出したのが、2年前のことであったことを想いだした。その囲いに中に記念碑が建てられているとのことであった。

 ホテルに戻り、Medical Simulator S.A.のチームが来るのを待った。午後6時から、マドリッド医科大学で女性の病理学者であるゴンサレス学長が挨拶を行い、主催者であるメナリニ医学教育研究所のドクター・アバド、エドワルド・クローサス氏の後、わたしがスペイン語で「今回、わたしの息子である『イチロー君』を使って患者の診察手技を修得するための講演を出来ることは、わたしにとって非常に名誉なことであります。この世界的に美しい歴史的にも有名な美しいマドリッドとバルセロナの街で、わたしが講演をするため、ご協力を頂いたマドリッドの方々に対しまして心から深い感謝の意を表します」と挨拶をしたが、会場から一斉に拍手が湧き起こった。わたしが二ヶ月かけて覚えたスペイン語の挨拶が報われた瞬間だと実感したのである。

 「イチロー君」を前にして、それからは英語でわたしが30年前から提唱している「臨床における3つの言葉」、すなわち「日常語・身体語・臓器語」の重要性について話した。「日常語」は普段我々が話すことばで、主訴や現病歴を聞くことが第一である。しかし、スペインではどうなのか知らないが、現在、日本では十分な会話の出来ないドクターが増えていることは、社会人としての教養が身についていないからだと指摘した。「身体語」とは患者が疾患によって身体の具合の悪さを訴える身体所見であり、ことを把握するために、このシミュレータが開発されたのだと説明した。

 また「臓器語」とは心音・心雑音であり、正に心臓が臓器の言葉として、一心拍毎に訴えているものであり、これがベッドサイドにおける診察法の基本であることについて、実際に参加者に「イチロー君」を触れ、聴診してもらい、シミュレータの魅力を存分に体験してもらった。1時間半に亘る講演を30名の参加者は熱心にわたしの話を聞いてくれた。こうして「イチロー君」はスペインにおいてわたしのために大活躍をしてくれたのである。      

 講演が終わった時、わたしは今回の講演旅行に際して非常にお世話になったエドワルド・クローサス氏にスペイン語で書いた感謝状を贈った。

 そして何よりも感心したのは、ゴンサレス学長が最後までわたしの話を聴き、そして「イチロー君」を診察し、最後にわたしにマドリッド医科大学の紋章の入ったバッチを胸に付けて頂いたことである。そして彼女の研究論文をCDに入れた「エコー解剖学」という新しい研究法を紹介し、別に世界の有名な病理学者の紹介された本を贈って頂いた。また、ゴンサレス学長付きのドクターから

 「再び、マドリッド医科大学にお出で下さい」と招聘を受けた。

 

 こうして、今回のバルセロナとマドリッドでの講演が無事に終わり、10月12日にはバルセロナからパリ経由で帰国の途に着き、13日の早朝九時に関西国際空港に着いた。

 

 

 ・・・次回に続く

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