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『わたしのパスかる!』髙階理事長の自叙伝(連載第21回)

ジェックスの設立者で理事長の髙階經和先生が、お生まれになった1929年から現在進行中の研究成果まで、90年を超える人生と研究をみずからまとめておられます。

内容はもちろん、読み物としても大変興味深い「自叙伝」となっています。ぜひお楽しみください!

(連載内容の目次はこちら)

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    『わたしのパスかる!(連載第21回)

ーわたしの歩いてきた道ー

ジェックス理事長 髙階 經和

  

第4章:-1995年~2022年-

12.追いつづけた夢

 2002年5月、新緑に覆われた鞍馬の山々を背景に、雲一つなく晴れ上がった青空のもと、京都国際会館において、5月26日日には、天皇皇后両陛下をお迎えして、第26回国際内科学会の開会式が行われた。海外10カ国からの参加者も含め、約7千人の内科医が集まった。

 日本での国際内科学会は、13年振りとの事である。わたしは、昨年秋から今回の学会のために準備をすすめてきた。国際学会というのは、その性格上、多くの基調講演の他、各分野における最近のトピックスが紹介され、特に今回の会長を務めたのは、前東海大学医学部長の黒川清教授であった。

 黒川清教授は、アメリカの南カリフォルニア大学医学部教授、東京大学医学部教授、そして東海大学医学部長を歴任した素晴らしい内科医であると共に、その国際感覚を生かして今回の学会にも組織委員会の発案を取り入れ、東洋医学の紹介コーナーも開設し、学会開催中は外国人参加者にも大いに人気があった。

 前出の木野昌也副会長の計らいと、東京医科大学内科学の山科章教授らの努力と、特にわたしと長年共同開発研究にあたった京都科学の片山社長をはじめスタッフの方々の努力により、社団法人臨床心臓病学教育研究会のため講演用会場が設置された。 

 

13.京都で開催された国際内科学会での講演

 5月27日午前9時より、国際会議の実質的な幕開けとなった。海外の学者達の半数は、時差のためか、観光のためか、午前中は余り会場には顔を見せない。わたしはすでにACC(アメリカ心臓病学会)での経験もあり、一階の展示室を訪ねる外国人の医師たちにも一人ずつ、丁寧に「イチロー君」の開発に至る経過などについて説明していった。誰に対してもわたしは、

 「わたしがこのプロジェクトのリーダーです」と挨拶した。

 「これはどうして作られたのですか?」
 「値段は、アメリカドルでどれ位しますか?」
 「心音や心雑音は、どうして発生させているのですか?」
 「このシミュレータを作り上げるのに、何年かかりましたか?」

など、どの質問も既にACCで受けたのと殆ど同じであった。しかしなかには、

 「わたしは、ヨーロッパの学会で同じようなシミュレータを見たことがありますが、あのシミュレータとは比較にはならないほど、この方が良くできています」とコメントしたドクターもいた。

 その翌日の午後2時から約1時間にわたって会議室に集まったドクターを前に、わたしは英語で
 「第26回国際内科学会において、わたしに『アジア・ハート・ハウスと新しい心臓病シミュレータ』についてお話しする機会を与えてくださいました当学会の組織委員会の方々に対しましてまずお礼を申し上げる次第です」と、パワーポイントを利用したプレゼンテーションを始めた。

 「まず、最初の話題は『アジア・ハート・ハウス』のことについてであります。21世紀における日本の国際社会に対して、果たすべき役割は、政治、経済、学術、文化など、あらゆる分野で貢献することであります。医学もその例外ではありません。17年前より、我々が提唱してきました「ハート・ハウス構想」は、アメリカの首都ワシントン郊外、ベセスダにあるアメリカ心臓病学会(American College of Cardiology = ACC)の本部である「ハート・ハウスをモデルとして、我が国のみならず、アジア近隣諸国の医師、看護師、医療関係者のために、国際的規模の医療教育と研修、及び情報交換の出来る研修施設を、設置しようとするものでありました」

 「この構想を思い立ったのは、今から約31年前に、ACCがその本部をニューヨークから、首都ワシントン郊外のベセスダ市にある閑静な住宅地の真ん中に移しました。その杮落しのセミナーに、わたしが日本から唯一人参加したことが、契機となりました」

 「ACCが世界最高のクラスルームと、銘打っている素晴らしい研修会議場や、その設備のみならず、セミナーを主宰したジョージタウン大学医学部のプロクター・ハーヴェイ教授をはじめ、各講師の魅力のある講義に、わたしは深い感銘を受けました」

 「そして何よりも、マイアミ大学医学部のマイケル・S・ゴードン教授が中心となって作り上げた心臓病患者シミュレータ“ハーヴェイ”にわたしは大きな魅力を感じたのです。臨床心臓病学を長年、教えてきたものとして、具体的に心臓病患者の客観的な身体所見を再現できるシミュレータが、日本にも是非必要だと感じたのです。そして、1985年に社団法人臨床心臓病学教育研究会を設立しました。近い将来、日本版ハート・ハウスを大阪に設置しようと考え、その準備を始めました」

 「大阪府、大阪市の許可と、関西経済連合会や大阪商工会議所の協力を得て、日本医師会、大阪府医師会の後援により開始しましたが、そこに襲ってきたのが、バブル経済の破綻でした。当初は順調に思えた募金活動も突然、頓挫したまま数年が経過しました。日本版「ハート・ハウスの話はどうなったのだという中傷に近い声を聞くにつけ、わたしは切歯扼腕の思いでした」

 「大蔵省や厚生省にも何度となく足を運びましたが、1986年より、約60社の製薬業や一般企業を訪問しました。どの会社も、異口同音に『先生のお話には賛同いたしますが、当社と致しましては、すぐに対応致しかねます』と総論賛成、各論反対の態度に、わたしは、いくつものハードルを越えなければ大きなプロジェクトは決して前に進まないことを、いや程思い知らされました」

 「『アジア・ハート・ハウス』の必要性は、8年前に日本学術会議・第7部会・循環器学研究連絡委員会が開催された際、この構想について、松本昭彦委員より提案があり、当時の部会長であった河合忠一先生のご努力により、当委員会で何回となく審議された結果、日本学術会議から7年前に対外報告が出されました。そして多くの方々のご協力と、関係各省庁や各機関の協力により、その計画の第一段階として予定より1年遅れましたが、2003年春に横浜市内にある横浜国際協力センター内に『アジア・ハート・ハウス』事務局を設置することになりました」

 「『アジア・ハート・ハウス』設立の意義は、21世紀の医療が、健康医学にあるという観点に基づくものです。“Heart House”の頭文字に因んで、その意義を考えると、医師や医療関係者の人間性(humanity)を高めるために、有効な(effective)教育を行い、これによって国際的医療の進歩(advancement)に寄与することが出来るでしょう。また、そういった人材(resource)によって、彼らに十分な研修(training)を行うことが大切であります」

 「また、その目的とするところは、我々が健康(health)を維持する上で、現在の生活習慣を改め、日常生活の質的向上を図ることであります。心臓が脳、腎臓と共に身体の三大重要臓器(organ)の一つであり、身体の重要な部分(units)として機能していることを知るために、心身(spirit)の教育(education)を通して行うことが必要であります。」

 「以上の理念に基づき、今後アジア・ハート・ハウスはアメリカ及びヨーロッパ・ハート・ハウスと共に、世界における心臓病予防のアジアにおける拠点として、21世紀の国際医療に貢献し、人々の健康維持のため活動を展開することになるでしょう」

 「すでに、1998年10月1日より、大阪には『ジェックス研修センター』が開設されましたが、同センターにおいては1999年秋以降、JICAとの協力により各国の医師に対して数回の研修活動を行って来ました」

 「また、2001年4月1日よりジェックス研修センターを『アジア・ハート・ハウス・イン・大阪』と位置づけ、新たに活動を展開しています。アジア・ハート・ハウスは、21世紀の幕開けと、共に力強い鼓動を打ち、一般の人々の健康維持に向かって、邁進いたします。今後は皆様方もアジア・ハート・ハウスのメンバーとして参加して頂き、我々の手で国際的研修活動を広げていこうと考えております。」

 「このアジア・ハート・ハウス設置準備委員として、日本学術会議第七部会・循環器学研究連絡委員会の部会長を勤めて頂いた、河合忠一京都大学名誉教授を始め、杉本恒明東京大学名誉教授、矢崎義雄国立国際医療センター総長、松本昭彦横浜市立港湾病院院長、故春見健一日本心臓財団副理事長、堀正二大阪大学医学部大学院内科教授、山口徹東邦大学医学部内科教授と、わたしとがメンバーとして定期的に準備を進めて参りました」

 「1970年、アメリカでは心臓病患者の身体所見の診かたを、自己研修によって学ぶことができる臨床教育機器として、心臓病専門医が中心となって、心臓病患者シミュレータが開発されました。その開発プロジェクトのリーダーだったのが、マイアミ大学のゴードン教授(Prof. Michael S. Gordon) でした。彼は恩師のジョージタウン大学医学部のハーヴェイ教授(Prof. Proctor Harvey )の名にちなんで、そのシミュレータに“ハーヴェイ君”(Harvey Junior)というニックネームを付けました」

 「1971年10月、完成したアメリカ心臓病学会の研修センター『ハート・ハウス』(Heart House)の柿落しのセミナーで、この”ハーヴェイ君”と対面したことが、わたしに大きな影響を与えました。  臨床手技の習得に自学自習のできる教育機器として、マイアミ大学から、心臓病患者シミュレータ『ハーヴエイ君』を導入しましたが、重量が350キロもあり容易に動かすことが出来ないという問題などが、絶えず頭を悩ませました」

 「これらの問題を解決するため、5年間の試行錯誤を繰り返した結果、わたしは人体の胸部サイズのマネキンに、再現できる心臓病聴診シミュレータを開発し、これを循環器専門誌の”Clinical Cardiology”に発表しました」

 「さらに数年間にわたる共同研究により、最近のデジタルおよびコンピュータ技術を応用して、等身大のマネキンに身体所見を再現できる新しい心臓病患者シミュレータ『イチロー君』の開発に成功したのです。これは研修が必要であればいつでも移動が可能です」

 「この臨床訓練に最も効果的であるシミュレータを、何とか国産で作り上げようと考え苦心した結果、『イチロー君』が誕生したのです」

 わたしは、次に参加者の方々に「イチロー君」のベッドサイドに集まってもらい、実際にデモンストレーションを行った。

 「今や日本に限らず、アメリカでも、若い医師たちの聴診技術が、低下していることが指摘されています。この現象は、医学教育でハイテク技術に頼りすぎた診断方法を教育した結果、若い医師たちが医学教育の中で、本来身につけるべき診断手技を軽視している傾向があるためだと考えられます」

 わたしが見せたパワーポイントの一枚のスライドに「もう一人のイチロー君」というタイトルが画面一杯に出てくると、

 「皆さん、アメリカ大リーグで昨年、リーディング・ヒッターになった選手の名前はご存じですか?」
と会場を見渡して質問した。すると誰かが小声で“ICHIRO”と言った。

 「そうです。シアトル・マリナーズの“ICHIRO”ですね。わたしが、このシミュレータにニックネームをつけたのは、実は、彼が日本のオリックス・ブルーウェーブで大活躍を始める前だったのです。まさにこのシミュレータ “イチロー君”もマリナーズの“ICHIRO”も相乗効果を発揮して、今や世界を股に大活躍を続けているのです!」

 「では、次のスライドで、わたしの今日の講演を終わろうと思います・・」

“Without a complete physical examination, no one can master the clinical skills at BEDSIDE!”(完壁な診察を行わずして、ベッドサイド手技をマスターすること叶わず)であった。
 会場一杯の聴衆の拍手を受けて、わたしは無事講演を終わった。

 2002年にわたしは心電図のガイドブック『やって見ようよ!心電図』をインターメディカ社から出版したが、2003年に亘って医学教育関連の単行本としてベストセラーとなったのは大きな喜びである。

 

 

 ・・・次回に続く

※「わたしのパスかる」へのご感想をぜひお寄せください。 office@jeccs.org

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