ジェックスの設立者で理事長の髙階經和先生が、お生まれになった1929年から現在進行中の研究成果まで、90年を超える人生と研究をみずからまとめておられます。
内容はもちろん、読み物としても大変興味深い「自叙伝」となっています。ぜひお楽しみください!
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『わたしのパスかる!』(連載第20回)
ーわたしの歩いてきた道ー
ジェックス理事長 髙階 經和
第4章:-1995年~2022年-
11.アリゾナ大学で講義
2001年3月、トゥーソン市。 わたしと家内は3月8日から3月11日まで、砂漠の街アリゾナ州のトゥーソン(Tucson)に立ち寄った。今回、わたしはエーヴィ教授(Prof. Gordon A. Ewy)に客員教授として招かれ、再びアリゾナ大学医学部サーバー心臓センターを訪れた。
昨夜遅くにトゥーソンに着いたためか時差の影響が体に多少残っている。9日朝7時にエーヴィ教授がホテルまで迎えに来た。雲一つなく晴れ上がった青空のもと未だに朝の空気は冷たく肌寒い。
「ケイ、よく眠れたかい?」
「ぐっすり眠ったよ。今日は気分爽快だ」
と、一日の会話が始ったが、車の窓を通して電信柱のような巨大な「サワロ・サボテン」が、ハイウェーのグリーンベルトに一定の間隔で植えられているのが目に入る。街全体に巨大なサボテンが植えられているのは、全米でも恐らく砂漠の街トゥーソンだけであろう。
50年間に2センチしか成長しないサワロ・サボテン。そして1本の枝が幹から生えるのに、15年はかかると聞くに及んで、「一体、このサボテンは何年掛かって、ここまで大きくなつたんだろう?きっと気の遠くなるような歳月が掛かったのだろう」と思った。
午前7時30分から、マフィンやクロワッサンとコーヒーだけの朝食を取りながら、エーヴィ教授が8人のレジデント達に「プロフェッサー・タカシナは日本だけではなく、国際的にも良く知られた臨床心臓病学の専門家で、今朝はとくに皆さんのために新しい心臓病患者シミュレータ“K”(「イチロー君」の海外での名称)を使って、学生にどうやって心臓病患者の診かたを教えるかを指導するためにアリゾナ大学にお招きしました」と、わたしを丁重に紹介してくれた。
わたしは彼らに「このシミュレータを、今までに見たことがあるか」と聞いて見たが、誰も見たことがなく初めのうちは彼らもやや緊張気味であった。まずスイッチの入れかたから始まり、コンピュータの画面に表示される各疾患の身体所見(頸静脈波、頚動脈波、心尖拍動や心音・心雑音)をファンクション・キーとカーソルを使って、マネキンにどう再現するかをデモンストレーションした。その後、各レジデントに一人ずつ自分で繰作できるまで実習してもらった。
エーヴィ教授も一緒になって、どうすれば学生たちに各疾患の身体所見の特徴や、特に聴診所見を把握させることの重要性を強調してくれた。彼らはすでにマイアミ大学のゴードン教授らが開発した心臓病患者シミユレータ『ハーヴェイ君』での研修は経験済みであった。しかし、シミュレータ“K”では自分の聴診器を使って、各疾患の心音や心雑音の変化や特徴を聴くことができた事と、不整脈と共に心尖拍動や全身動脈波などの身体所見が同時に変わることに、かなりの興奮を覚えた様である。
「ドクター・タカシナ、この音は殆ど実際の患者のものと変わりませんが、どうして入力されたのですか?」
「心音・心雑音は全て実際の患者から記録したもので、胸毛のある人などではかなりバックグランド・ノイズが入るのでクリーニング・ソフトで消しました」
「道理でリアルなのだ」
「ドクター・タカシナ、ハーヴェイ君の音は実際の音より誇張している様に思いますが」
「それは全ての心音や心雑音が心音シミュレータで合成されたものだからでしょう」
「成る程。実際の患者の心音・心雑音とかなり違うのですよ」
ここでも、シミュレータ”K”を見にきたあるドクターから、「ハーヴェイ君」が、絶えず故障続きだとの声を耳にした。
「ドクター・タカシナ、このシミュレータの開発にはどれ位の期間が掛かったのですか?」
「わたしと東京工業大学の清水優史教授と京都科学の片山英伸氏との共同研究で約3年半掛かりましたが、もっと前にわたしは聴診シミュレータを作っていましたから、実際には10年掛かったと思います」
「それで、このシミュレータ”K”は何時アリゾナ大学に入ったのですか?」
「4年前だったと思いますよ」
と次々に質問がわたしに飛んでくる。そこでエーヴィ教授が「今度のバージョンは、一番良くできているね」とのコメント。
「OK、じゃあ、ここで皆さんの耳のテストをやって見ましょう」
といって、コンピュータの画面の向きを変え各心疾患を順番に出力し、身体所見と聴診の同時診察法について解説を交えながら実習を行なったが、殆どのレジデントがシミュレータ“K”を使って学生への教え方のコツを会得した様であった。
その後、わたしは4階にあるCCUでエーヴィ教授と合流し、数名のレジデントと一緒に回診を始めた。既にご存知の方もあると思うが、アメリカの医療現場においては、病歴、診察所見や各検査そして治療方針の各項目に関して、レジデントが診察し記載した内容の全てを、その病棟の責任者である教授やシニア・ドクターが正しいと判断すればサインをしていく。それがなければ、もし将来、医療訴訟に巻き込まれた場合は必ず医師は不利な立場に立たされるのである。わたしは回診の間に、現在のわが国における医療事故の多発も、このダブルチェックの方法によって防げるかも知れないと思った。
回診の途中、ある部屋に入った時である。エーヴィ教授が、わたしを患者に「このドクターは、日本から来られた教授です」と紹介された途端に「はじめまして、どうぞよろしく」と日本語で挨拶した老人がいた。エーヴィ教授もびっくりした様子で「貴方は、どうして日本語が出来るのですか?」するとその老人は、今度は英語で「わたしはノース・ウエスト航空の仕事で、14年間、東京で勤務していました」と答えた。「道理で。それではドクター・タカシナに日本語で診察をお願いしようかな」とゴードンのジョークが飛び出した。
3時間のCCUでの回診も終わり、続いてわたしはランチョン・カンファレンスのため、その階にある会議室に向かった。学生達やレジデント達が集まってくる。やがてエーヴィ教授が
「今日のゲスト・スピーカーは、プロフェッサー・タカシナです。ドクター・タカシナは、臨床心臓病学教育研究会の会長であり、日本を初め国際的にも、非常に著名な心臓病学での権威であります。来週、アナハイム市でアメリカ心臓病学会の学術年次総会が開催されますが、この学会には世界中から有名な心臓病の専門家が出席されます。今回、ドクター・タカシナがこの学会に来られる事を伺っていましたので、その2〜3日前に、アリゾナ大学でベッドサイドにおける診察法のうち「心音と心雑音」についてお話頂きたいとお願いしました。今日はそのノウハウを伺えるものと思います。ケイ」
エーヴィ教授の紹介を受けて、わたしは話し出した。
「どうも、エーヴィ先生、ご紹介有り難うございました。わたしは再びトゥーソンに来られたことを嬉しく思い、またエーヴィ先生にお招き頂いたことを、大変名誉に思う次第です。今日は『心音と心雑音』についてお話するわけですが、臨床における診察の第一歩は、完全な病歴と身体所見の把握に他なりません。これは世界中のどこに行っても同じです。しかしハイテク技術を駆使した診断機器の進歩のお陰で余りにも多くの臨床家がその技術に頼り過ぎ、ベッドサイドの診察手技の重要性を忘れがちです。日本においては、特にその傾向が見られます。今日、わたしは診察手技の中、とくに聴診について話したいと思います。」
「ああ、もう少しで忘れるところでした。エーヴィ先生、実はわたしがロサンゼルス空港の待合室で待っている時、凄い年寄りの人がわたしのところに来まして『貴方はトゥーソンに行きますか?』『ええ、行きますが』と答えると『何かの機会にエーヴィ先生に会う機会がありますか?』彼は、どう見ても200歳くらいでした。『ええ、しかし、どうしてそれをご存知なのですか?』『いやー、エーヴィ先生は大変な聴診器の蒐集家なのですよ。これはわたしが作った最新のモデルです。どうかエーヴィ先生にお渡し下さい』『ところで、貴方のお名前は何とおっしゃるのですか』『わたしの名はラエネック(Laénnec)です』」
といって、わたしが2カ月掛かって作り上げた木製の筒で、マホーガニー色のニスで仕上げた『木製聴診器』を、鞄から取り出してエーヴィ先生に手渡した。彼は驚いた様子で聴診器を受け取ったが「これは素晴らしい!」と大喜び。これには学生やレジデント達も大爆笑である。続いてエーヴィ教授は、聴診器を手にしながら、
「ラエネックは、1800年代の初め頃には直接聴診法しか出来ず、特に女性の患者の場合は、胸にハンカチーフをおいて聴診をしなければならなかったのです。その後、ふとしたヒントから初めて木製の聴診器で聴診を始めたドクターです」
と解説した。わたしは全く予期していなかったが、彼の説明はわたしが用意したスライドの内容と変わらなかった。そこで「いまエーヴィ先生が言われた事が、全部このスライドに書いてあります」と言った途端に再び大笑い。これでわたしもすっかり気分が楽になり、聴診器の選び方から始まり、心音と心雑音の聴き方から鑑別方法などを、スライドを使って約1時間にわたって講義した。日本語のスライドも交え「皆さんは日本語も読めるでしょうから」と言ってイラストの表題だけが、日本語のものも用意した。講義の間、絶えず頷きと微笑みが学生たちの顔に浮かび、そしてエーヴィ先生も独自のコメントをしながら、時にはわたしのQ&A形式の講義では、質問の正解と思われる解答に対して、学生やレジデントたちに手を上げて答えてもらった。
そして最後のスライドで『聴診なしには、心臓病学をマスターする者はない。幸運を祈る』(Without Auscultation, No One Can Master Cardiology. Good Luck!)
と、わたしの語録が出た途端に、会場全体から笑いと大きな拍手が沸き起った。その後エーヴィ教授が、丁重なお礼の言葉を述べられた。多くの学生を初め、チーフ・レジデントが、わざわざわたしに握手を求め「素晴らしい講義をありがとうございました」とそれぞれ礼を述べてくれた。
翌日にはロサンゼルス郊外のアナハイム市で開催される第49回アメリカ心臓病学会に出席するために、砂漠の街トゥーソンを後にしたが、その前夜、ホテルの前から見あげた夜空一杯に煌めく数々の星の神秘的な美しさは、喩えようのない迫力でわたしたちを包んだ。ナバホ族インディアン達が、広大な宇宙の中の母なる地球に生きることを感謝して星に祈りを捧げ、自然に対して畏敬の念を現す気持ちが理解できる様に感じた。その美しい夜空はわたしの網膜に焼きついて、決して忘れることは出来ない。
日本に帰って数日後、エーヴィ教授から
「今回の貴方の講義は素晴らしかった。ケイ、貴方の講義は学生やレジデント達に大いに受けたよ。本当にありがとう」
とEメールで礼状が届いたのである。
3月20日の午前11時に、ブースを訪れたアリゾナ大学医学部のエーヴィ教授が約1時間にわたって「イチロー君」を診察し、多くのアドバイスをしてくれたことは、我々にとって何よりも有難かった。また、マイアミ大学医学部助教授の若い女医であるドクター・リスターが、友人のゴードン教授の代理で、ブースを訪れてくれたことも爽やかな印象として残っている。
こうして、3日間の展示場に色々なビジターがあったが、何といっても、京都大学名誉教授の河合忠一先生が何回も立ち寄られ、アドバイスを頂いたことや、河合先生の紹介でアジア太平洋心臓協会のイスラエルのシーク教授にお目にかかり、
「今後、アジア心臓病学界のために日本がリーダーシップを取って下さい」
と依頼されたことは、何よりの大きな収穫であった。
我々は、すでに大阪・横浜を結んだ研修センターを通じて、国際協力事業団とも連携し、アジア近隣諸国の医師や医療関係者のための教育機関として『アジア・ハート・ハウス・大阪』を誕生させ、毎月定期的に研究を行っている。更にその目玉として、今回バージョン・アップされた心臓病患者「イチロー君」が活躍を開始し、更に呼吸音シミュレータ「ミスター・ラング」(Mr. Lung)や、眼底検査シミュレータが新たに加わった。この施設はやがて「ユニバーサル・スタジオ・ジャパン」の魅力をも凌ぐ医療教育機関として活躍していくことだろう。
【・・・次回に続く】
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