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髙階理事長エッセイ「One thing at a time」【第1回】

  今回から髙階經和理事長のエッセイ

「One thing at a time」“一時に一つのことを”

を掲載いたします。

 

 

《はじめに》

  わたしは1958年から4年間、ニューオーリンズ市にあるチュレーン大学医学部内科へ留学しました。ニューオーリンズに到着して2日目の朝、初めて主任教授のバーチ先生(Prof.George E. Burch)を訪ねました。先生は自らオフィスのドアを開け微笑みながら
「ドクター・タカシナ、遠いところ、よく来てくれました。旅行はどうでしたか?」と優しく話かけました。バーチ先生は当時48歳でしたが、若々しく20歳代の青年のように活気に溢れた表情を浮かべ、「ドクター・タカシナ、これから色々なことがあると思いますが、どんな仕事でも”One thing at a time”(一時に一つのことを)行うことを心掛けて下さい。」と話されました。当時の日本の教授には見られなかった新鮮で自信に満ちたバーチ先生の姿でした。

 今日に至るまで、その言葉をわたしの座右の銘とし、60年以上様々なことに挑戦し、自分なりに後悔するすることのない人生を歩んできたと思います。

 わたしは二度に亘り大病を経験してきましたが、“One thing at a time”はわたしの人生哲学となり、どんなことにも焦らず、挫けず、一つのことに集中すれば、必ず成功することを体験してきました。このエッセイは年代を問わず、あらゆる分野の方々に読んで頂ければと思い記しました。

 読者にとって人生の友となれば、それは望外の喜びです。

ジェックス理事長 髙階經和

 

【第1回】

あ》 自主、自戒のことば~その(1)

 「 活動的であれ(Be active)」

 わたしは4人姉弟の末っ子でしたが、やんちゃ坊主で二人の姉に言わせれば「末っ子のためお母さんに甘え過ぎだ」とのことでした。果たしてそうだったのかな?と今でも思う事があります。兄はわたしと違って、優しい性格の持ち主でした。わたしたち兄弟は厳格な父と寛容な母の教育のお蔭で何でも自分でやるという心構えを養われたと思います。

 わたしの少年時代は第二次世界大戦中であり、国民は日本という国を信じ、終戦になるまで日本は戦争に勝つものだと思っていました。しかし、1945年8月15日、昭和天皇の終戦を告げるラジオ放送が流れた時、初めてわたし達は日本が戦争に負けたのだということを知りました。

 

 その日を境に国民すべてが、意識の転換を余儀なくされたのです。食べるものもなく、兄と二人で、庭を耕し、ナス、キュウリの種をまき、サツマイモなどの野菜を植え、自給自足の生活を手伝うようになりました。 今の若い方々には考えられない苦しい生活でしたが、戦争中、栄養失調のためにできた両手の凍傷も成長するにつれて徐々に回復し、わたしは病身の父を助け、家庭菜園を手伝ううちに次第に体力もついてきました。そして中学3年生になった時、完全に凍傷の傷も癒えました。「よし、何でもやってやるぞ」という気持ちがこころに芽生えたのでした。

 

 物事ははじめの内は辛くても、積極的に忍耐強く、活動を続けることが、人の成長に役立つ大切なことだと思うようになりました。

次回に続く

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