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『わたしのパスかる!』髙階理事長の自叙伝(連載第11回)

ジェックスの設立者で理事長の髙階經和先生が、お生まれになった1929年から現在進行中の研究成果まで、90年を超える人生と研究をみずからまとめておられます。

内容はもちろん、読み物としても大変興味深い「自叙伝」となっています。ぜひお楽しみください!

(連載内容の目次はこちら)

髙階先生の経歴はこちら

前回分はこちらから

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    『わたしのパスかる!(連載第11回)

ーわたしの歩いてきた道ー

ジェックス理事長 髙階 經和

  

第三章:-1980年~1994年-

3.初心者向きの心電図と心臓病ガイドブック

 1979年、わたしは東京にある医学書院から、『心電図を学ぶ人のために』という教科書を出版した。この本を書くに当たって、同社の乾成夫氏から、「何とか初心者のために、分かる心電図の本を書いてくれませんか?」と依頼が2年前にあったのだ。わたしはチュレーン大学医学部でバーチ教授から学んだ心電図の講義の面白さや、学生に理解させるためにバーチ教授が周到な準備に絶えず工夫を凝らし、何を教えるべきかを何時も考えていた姿を思い出し、心電図を教えるためには何が大切かを、わたしが初心者の立場に立ち返って書いた。この本の編集を引き受けてくれた広瀬真氏には、3日間に亘って彼が納得するまで心電図の講義をした。その結果この本が出版されたが、その後、改訂を重ね39年以上経った今も、多くの方々に広く読まれている。また初心者向けに書いた『心臓病へのアプローチ』も極めて分かり易いプログラム教程を取りいれた内容で、これが第-5「わたしのパスかる」となった。

 

 更にわたしは聖路加看護大学学長(当時)であった、故日野原重明先生らと、同年、医学書院からナースを対象に『バイタルサイン』という教科書を分担執筆した。わたしはハーヴェイベッドサイドにおける、脈拍の測定のしかたや、血圧の測定の仕方や、血圧測定にとって「コロトコフ音」発生のメカニズムについても、新しい見解を示したが、この本もまた、20年以上経過した今日でも、未だに多くのナースの方々によって読まれ、また高血圧患者の血圧測定時における「聴診間隙」の理論を説明したわたしのイラストが、多く引用されていることは喜ばしい。わたしの執筆ポリシーは誰にでも理解できることが原則だ。1984年アメリカ心臓協会フェロー(FAHA)となった。

 

4.アメリカ心臓病学会本部「ハート・ハウス」を視察

 1985年4月、大阪。わたしは、たまたま友人でもあり患者さんの一人であった、大阪府企画部(後に国際交流監に就任)の大藤芳則氏に相談をした結果、アメリカで循環器病学を共に学んだ専門医が集まり、1985年4月、大阪府知事の許可により社団法人臨床心臓病学教育研究会を設立させた。これを知ったのは、以前、淀川キリスト教病院で研修したことのある大阪大学歯学部の松浦英夫教授である。

 「髙階先生、教室の大学院生に毎週講義をして頂けませんか?」

 わたしは松浦先生の申し出でをすぐに快諾した。それ以来、17年間に亘って、毎週水曜日に研修講義を続けた。毎月の医師や医療関係者に対する研修活動と共に、一般の人々に対する啓発活動も順調に滑り出した。そしてわたしが1971年にアメリカ心臓病学会本部である「ハート・ハウス」の第一回セミナーに出席したことが契機となって、わたしが社団法人を設立したと同時に「日本にもぜひ素晴らしい研修施設を作り、わが国をはじめアジア近隣諸国の医師や医療関係者に対しても、研修が出来るような施設を作りたい」と「日本版・ハート・ハウス」構想を提唱したのである。

 1986年6月、わたしを団長として北摂総合病院の木野昌也院長、大阪府衛生部の矢内純吉課長、大阪市衛生局の八木課長、日本を代表する、国際的建築設計家の徳岡昌克氏、大手の事務用家具メーカー会長の伊藤七郎氏をはじめ、有志の方々11名と共に、秋の深まる首都ワシントン中心地のホテルから迎えのバスに乗り込み,30分で郊外ベセスダ市に入った。

 ベセスダ市には、アメリカ国立衛生研究所、アメリカ海軍病院、アメリカ陸軍病理研究所をはじめ、国立医学図書館などがある。アメリカ心臓病学会本部「ハート・ハウス」は、わたしが15年前に、初めてここを訪れた姿のままであった。閑静な住宅地にある敷地2万坪の中央に建てられたレンガ造りの円形シアターのモダンな建物に、一行はすっかり魅了された。緑の芝生に囲まれた「ハート・ハウス」の特別研修室の内容は、彼らが「世界最高のクラスルーム」と豪語するにたる、あらゆる面で際だったものであった。

 ネリガン事務総長の出迎えをうけ一向は貴賓室に入り、「ハート・ハウス」が完成されるまでの経緯について説明を受けた後、特別研修室の内部に案内された。研修室のフロアには、厚い絨毯が敷かれている。ジェット機のファースト・クラスを連想させる、ゆったりとした69席の椅子には、卓上テレビや電子計算機、LLシステムをはじめ、電子聴診器など、長時間の研修に耐え得るあらゆる器具が具備されていた。

 一行を驚かせたのは、69席の椅子に上に置かれた全てのテレビ画面に「ハート・ハウスへのドクター・タカシナの来訪を歓迎します」(Welcome your visit to Heart House Dr.Takashina)の文字が浮かび上がっていた事である。また視察団一行を更に驚かしたのは、件の心臓病シミュレータ「ハーヴェイ君」だったのである。

 「髙階先生、日本でもこんなシミュレータは出来ませんかね?」と大阪府の矢内課長が聞いた。

 「やろうと思えば、出来ないことはないと思いますよ。ただ、こんな教育機器を何処のメーカーが開発してくれるでしょう?」

 「問題はそこですね。教育機器はそんなに沢山売れるものでもないし、日本のメーカーも採算を考えると、そう簡単には動いてくれないでしょうからね」

 「わたしは、チャレンジしてみてもいいと思いますよ」

 「先生、が、ですか?」

 「ええ、もし出来れば、画期的なことだと思いますよ」

 神戸大学での学生の講義や、各地の医師会での講演を通して感じていたのは、ベッドサイドにおける診察手技は、スライドによる説明だけでは、どうしても理解してもらえないというもどかしさであった。この意見には、北摂総合病院の木野院長も大きく頷き同調した。

 「まず、ライフ・プランニング・センターに続いて、ハーヴェイ君を日本に導入しましょうか?」と言ったが、すでに「独自の心臓聴診シミュレータを創ってみようという」考えが湧いてきていたのである。

 

 

 ・・・次回に続く

※「わたしのパスかる」へのご感想をぜひお寄せください。 office@jeccs.org

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