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『わたしのパスかる!』髙階理事長の自叙伝(連載第17回)

ジェックスの設立者で理事長の髙階經和先生が、お生まれになった1929年から現在進行中の研究成果まで、90年を超える人生と研究をみずからまとめておられます。

内容はもちろん、読み物としても大変興味深い「自叙伝」となっています。ぜひお楽しみください!

(連載内容の目次はこちら)

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    『わたしのパスかる!(連載第17回)

ーわたしの歩いてきた道ー

ジェックス理事長 髙階 經和

  

第4章:-1995年~2022年-

3.心臓病患者シミュレータ論文受理

 1996年3月、フロリダ州オーランド市。例年の様にアメリカ心臓病学会の学術年次総会が開催され、マイアミ大学のマイケル・S・ゴードン教授が、彼の長年の教育活動に対して心臓病学会から、彼の恩師のハーヴェイ教授と並んで栄誉賞を受けた。その学会の席上、わたしは友人のアリゾナ大学医学部のゴードン・A・エーヴィ教授に会った。

 「ゴードン、今度開発した新しい心臓病シミュレータの論文を見てくれるかい?」

といった後、早速、彼は一晩で論文に目を通してくれた。翌日、彼は言った。

 「ケイ、君が聴診シミュレータの開発から、徐々に努力を積み重ねた結果が良く分かった。内容も面白いし、是非“CARDIOLOGY”に投稿してみたらどうだろう」

 こうして、日本に帰るとすぐに論文の最終チェックを行い、そして論文原稿をCARDIOLOGYの編集者に投稿した。やがて論文が無事に受理された通知を受け取った。

 1996年6月、京都 先斗町。鴨川の上に張り出して作られた川床の上を、初夏の風が過ぎていく。わたしと清水氏、片山氏の3名が共同で開発してきた「イチロー君」の製作に至る全ての過程と、この「イチロー君」を使って医師、ナースや医学生に対して行ってきた臨床診断手技の向上に関する結果をまとめた投稿論文が、ヨーロッパの国際的専門誌「カーディオロジー」(CARDIOLOGY)に発表されることになったのである。わたしをはじめ清水、片山両氏に技術主任の鶴岡邦良氏が加わった。その論文受理を祝ってのパーティで、

 「髙階先生、おめでとうございます」と片山氏が挨拶した。

 「いや、清水先生のご指導と片山さんのご協力の賜ですよ」

 「兎も角、まず乾杯といきましょう」と片山氏が音頭をとった。ビールが全員のグラスに注がれ、四人は一斉にグラスを挙げた。

 「乾杯!」地の利、人の輪、天の時とは、正にこの事だろう。

 「今日の、ビールの味は、格別ですな」と片山氏。

 「髙階先生の情熱にわたしも巻き込まれて、遂に「イチロー君」を完成させることが出来たのです」

と清水氏がここ数年、開発の過程で起こった様々な出来事を思い出しながらそう言った。

 「この仕事は誰にでも出来る仕事ではありません。教育者として先生が、心臓病患者の身体所見の診かたを、如何すれば後輩たちに正確に再現できるかという情熱と信念の結果、我々がご協力して出来上がったのでしょうね」と片山氏。この時ほど、ビールが美味いと思ったことはなかった。これから一番の仕事は何といっても「イチロー君」のデビューを、如何にアメリカ、いや世界の医師に知らせるかということであった。(*2007年、鶴岡氏は長年の苦労が認められ、日本で最高の「日本の名工」の一人として認められた。)

 「イチロー君」を開発した当初は、片山氏もわたしがいうように果たしてこの心臓病シミュレータが全国の医学教育、医療機関で受け入れられるだろうか、という不安があった。ここ数年を振り返って見ると、時には「工学部出身でもない髙階さんがシミュレータなど作れるわけがない。余計なことをしなくてもいいのに」と、やっかみ半分にいった人の言葉が耳に入り、自分のやっていることに嫌気が指して「全てのプロジェクトを中止してしまおうか」と思ったこともある。また「果たして、わたしがこのシミュレータを作り上げて見ても、日本の医学界に受け入れられるだろうか?」という危惧もあったが「しかし、遣りかけた仕事だ」止めるわけにいかないと自らを励まし続けた。

 「髙階先生、さあ果たして年間に何台、医療機関に出ますでしょうかネー?」と片山氏がある時、不安げにポツリと言った。

 「片山さん、現在の臨床医学教育において、一番何が欠けているのかを知っているのは、わたし一人ではありません。しかし、他のドクター達は口では何とでも言いますが、自ら実行してこういったシミュレータを作り上げようとはしません」とわたし。

 「わたしも、今までにいろんな先生から『こういった教育機器を作れば必ず売れるよ』と言われながら、実際に作ってみたら、その先生だけが必要なもので、他の人には全く必要なかった例をいくつも知っていますから」と片山氏は顧って言った。それが実感だった。

 「問題はプロジェクトのリーダーが、自ら先頭に立って推し進めなければ周りが動いてくれません」と、わたしは片山氏を真剣に見詰めて言った。片山氏は次第にわたしの情熱に心を動かされていった。

 「片山さん、来年のアメリカ心臓病学会の年次学術総会に展示をされたら如何ですか?」

と話を持ちかけた。片山氏にとってもこれは一つの冒険だったのかもしれなかったが、とりあえず、アメリカ心臓病学会の本部に連絡を取り、その結果、1997年3月、アナハイム市で開催される年次学術総会に展示されることが決まった。

 しかし、何といってもアメリカ心臓病学会で「イチロー君」を展示することは、マイアミ大学のゴードン教授が毎年「ハーヴェイ君」を展示しているお膝元である。わたしはまずマイクに手紙を書いた。

 「親愛なるマイク。今日は君に知らせたいことが2つある。1つは、君の研究室から1998年に導入した『ハーヴェイ君』は今も元気にしているよ。ただ君も承知の通り『ハーヴェイ君』は大きくて重いため、研修が必要な場所へ簡単に持っていくわけには行かない。現在は大阪医科大学に設置して学生の教育のために使っている。」

 もう一つは、今度、我々が独自に開発した新しい心臓病患者シミュレータで、名前は「シミュレータ“K”」という。わたしのニックネームを付けたが、これはマイク等が開発したものとは全く異なったシステムの、エアプレッシャーによって作られたものだ。心音・心雑音は全てわたしが4チャンネルテープ・レコーダーで記録したものをコンピュータに入力し、これをマネキンのスピーカーを通してプレイバックする方法をとった。今度の学会に展示するから、是非、時間があったら京都科学が展示しているブースに、来てくれると有難いのだが」

 マイクからは、すぐに返事は来なかった。暫くしてから、一応儀礼的にわたしに「君の新しいシミュレータ開発おめでとう。時間があったら、ぜひ見に行くよ」という返事をよこした。

 

4.アメリカ心臓病学会でデビューした「イチロー君」

 1997年3月、明朝から始まるアメリカ心臓病学会(American College of Cardiology=ACC)の年次学術総会の展示に向けて、全世界から実に約1,000社を超える医療機器メーカーや製薬メーカーが集う。アメリカをはじめ世界各国からこの学会に参加する心臓病専門医や内科医の総数は、2万名を超えるマンモス学会である。この学会にはアメリカ心臓協会のメンバーと共に世界の心臓病医達が参加するが、アメリカ心臓協会「American Heart Association: AHA」がむしろ基礎的研究などの発表論文が多いのに比べ、アメリカ心臓病学会は、より臨床的なテーマやトピックスを取り上げているのが特徴的である。わたしは二つの学会のフェローとして,日本のみならずアジア近隣諸国の人々にも臨床心臓病学を教えることが、今後の社団法人の仕事であると思っていた。

 3月18日午前8時30分より学会が始まった。アメリカ海兵隊軍楽隊が奏でるアメリカ国歌の演奏に合わせて、海兵隊の3人の旗手が星条旗を持って3000名を収容できる大ホールに入場してくる。続いて今年度のプレジデントが演壇にたつ。この年のプレジデントはハーバード大学教授でマサチューセッツ総合病院の内科部長である、ドクター・アドルフ・ハッター・ジュニアである。彼が今年度の開会を宣言した後、評議員全員が演壇に並び、今年の本学会の成功を祈って、牧師であり本学会の元会長のドクター・W・パームリーが祈りを捧げて、無事に学会の幕が切って落とされた。日本からも大勢の参加者があり、それぞれの分科会に分かれて発表が行われているのだ。午前9時ちょうど展示会場のオープニングと殆ど同時に多くのドクターがジャンボ機の格納庫を四つ組み合わせたような巨大な展示会場に次々に姿を現した。この学会の規模は世界でも屈指の大きな学会である。

 わたしがプレジデントのスピーチの後、京都科学の展示ブースに行ってみると、緊張した面もちの山内君が立っていたが、すでに数名のドクターが珍しげに「イチロー君」を囲んでいる。

 「わたしがこの新しい心臓病患者シミュレータの開発者の一人です」と話し出すと、一斉にドクター達の表情が変わった。

 「これは『ハーヴェイ君』と、どこがどう違うのか?」

とあるドクターが質問してくる。もちろん、彼も「ハーヴェイ君」を見たことがあるのだろう。

 「このシミュレータの値段はどれくらいか?」

 「どういう風にして作ったのか?」

 「脈が触れるが、これは脈管内に液体が入っているのか?」

 「心肺蘇生術はできますか?」

 「いや、心肺蘇生術は出来ません。これは心臓病患者シミュレータですから」

など、次々に意外な質問も飛び出した。

 その殆ど全てに必要と思われる説明を行っていった。なかには、わたしのネームプレートを見て、「フェロー」であることを知ると、急に丁寧に話し始めるドクターもいた。わたしが意外に思ったのは、第1日目の午前中、アメリカ人のドクターよりもヨーロッパやアジア系のドクターが多かったことである。この理由は、学会初日には何処の展示会場でも豊富な情報があり、またフリー・ギフトが参加者に配られることのメリットがあることや、経済的な理由で何日も学会に参加することは、彼等にとって大きな負担になっていたからであろう。

 

5.アリゾナ大学へ「イチロー君」贈呈

 1997年9月、アリゾナ州トゥーソン市。まだ熱波の続くアリゾナの夏、トゥーソン空港に降り立ったわたしはエーヴィ教授の出迎えを受けた。空港からハィウェイの両側には、サワロ・サボテンの巨大な並木が続く砂漠の真っ只中に出来た人工的な街。それはここから飛行機で約1時間の距離にある砂漠の真中にできた煌びやかな賭博の街、ラスベガスとは対照的なアリゾナ大学のキャンパスがある学問の街である。

 空港まで迎えに来てくれたエーヴィ教授が、「この暑さはエル・ニーニョ現象だな、これは。やあ、ケイ、元気かい?」と言った。今回の目的はアリゾナ大学医学部へ「イチロー君」を導入することになったため、京都科学の片山氏と安西君の両氏と共に、わたしも同行したのである。エーヴィ教授は「イチロー君」開発の経過を承知していたし、それに何としても医学部の教育用に「イチロー君」を使ってみたいとの希望があったからである。

 片山氏も、快くエーヴィ教授の申し出でを受け入れた。我々が到着する数日前にアリゾナ大学医学部「サーバー・心臓病センター」へ到着していた。「イチロー君」を紹介する記念パーティで、彼は

 「日米の医学教育の架け橋として、また、我々の21世紀へと続く友情のために、この新しい心臓病患者シミュレータを寄贈します」

と挨拶した。心臓病センターのドクター達も一斉に拍手して片山氏の挨拶に感謝の意を表したのである。片山氏らは2日間にわたり「イチロー君」の機械調整を行ったが、全く問題がない事を確かめ我々はアリゾナ大学を後にした。

 1997年8月、我々が待望の論文『新しい心臓病患者シミュレータ』(A New Cardiology Patient Simulator)が「カーディオロジー」(CARDIOLOGY)に掲載されるや、アメリカを始め各国から論文リクエストがわたしの手元に相次いだ。こうして「イチロー君」(英文名:Simulator “K”)が、まず第一歩を踏み出した。

 

 【・・・次回に続く

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